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高松高等裁判所 昭和53年(ネ)45号 判決 1980年11月27日

控訴人 山下和子

右訴訟代理人弁護士 三野秀富

被控訴人 坂出市奥池土地改良区

右代表者理事長 澤村貞七

右訴訟代理人弁護士 高村文敏

同 久保和彦

同 金澤隆樹

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(申立)

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文と同旨。

(主張)

一  被控訴人の請求原因

1  奥池水利組合(通称奥池水掛り。以下組合という。)は、香川県坂出市川津町(旧川津村)字北峯所在のため池(通称奥池)を水源池とし、近隣一帯一〇部落の田畑を灌漑している水利全般を管理する伝統的水利団体であって、江戸時代に奥池が造営されて以来、連綿として維持され、組合員約三四〇世帯を擁し、各部落から選出された合計二六名の水利委員(当初は世話役といわれた。)により水利委員会を構成して議決機関とするほか、同委員会において総代一名を選出し、これに組合を代表させ且つその業務執行にあたらせる権利能力なき社団であった。そして、澤村貞七(被控訴人代表者)は、昭和四七年七月施行の水利委員会において総代に選出され、以来、組合所有の不動産等の財産並びに各組合員から徴収する組合費等の管理にあたっていた。

2  別紙物件目録(一)、(二)、(六)の土地は中井六三郎の、同(三)、(四)、(五)の土地は奥澤山三郎の各所有であったところ、組合は、水源池である奥池の原水涵養、砂防等の用に供するため、明治二七年一月一三日、右両名からそれぞれの所有土地を買い受け、右(一)ないし(六)の土地(以下本件各土地という。)の所有権を取得した。しかし、組合は権利能力を有しないため、右売買に基づく組合名義の所有権移転登記ができなかったので、右両名から登記名義を取得する手段として、便宜上、当時の組合の世話役(水利委員)であった山下増造ら二九名が共同で買い受けたこととし、同年二月二七日、本件各土地につき、二九名の持分平等の共有である旨の所有権移転登記が経由され、現に、山下増造名義の二九分の一の持分の登記が存在している。

3  組合は、その総意に基づき、法人格を取得するため土地改良区の設立手続を進めていたところ、昭和五二年一一月一五日、土地改良法に基づき被控訴人土地改良区の設立認可がなされ、法人である被控訴人が成立したから、組合は同一性を保持しつつ法人化されるに至った。従って、組合の財産である本件各土地の所有権者は、法人である被控訴人の成立に伴い、当然に、被控訴人となったというべきであり、仮にそうでないとしても、権利能力なき社団たる組合の財産は、社団員の個人所有ではなく、その総有に属するものであるところ、組合は、その総意に基づき、組合を土地改良法による土地改良区として発展設立せしめることを決したのであるから、かかる社団意思の形成により、総有に属する財産一切を設立された土地改良区に移転する旨の意思表示がなされているものとみるべきであるから本件各土地は被控訴人の所有に帰したというべきである。そして、現に、本件以外の組合の財産はすべて被控訴人の設立に伴い被控訴人に移転され、本件各土地についても、山下増造名義の持分以外はいずれも同様に取り扱われ被控訴人への持分移転登記を了している。

4  山下増造は明治三五年一二月三〇日死亡したが、控訴人は、増造と別紙相続関係説明図記載のような身分関係にあり、同記載のような数次の相続を経て増造の権利義務を承継している相続人の一人である。

5  よって、被控訴人は、控訴人に対し、所有権に基づき、真正な登記名義を回復するため、本件各土地について各二九分の一の共有持分の移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する控訴人の認否反論

1  請求原因1の事実のうち、組合が権利能力なき社団であることは争い、その余は認める。

2  同2の事実のうち、組合が買い受けたこと及び山下増造ら二九名の名義での登記が便宜上のことであったとの点は否認し、その余は認める。本件各土地は、右登記に表示されている通り、山下増造ら二九名が中井六三郎及び奥澤山三郎から買い受けたものである。このことは、二九名はいずれも裕福な地主であって右買受代金を分担しているのに対し、他の組合員である小作人などがその代金を出捐したとは考えられないこと、被控訴人の主張によれば、組合の水利委員は一〇部落から各二、三名選出されている筈であるが、右二九名のうち、七名は井手ノ上部落、六名は峠部落に属しており、他方、六反地部落、昭和部落に属する者は二九名に含まれていないので、二九名は一〇部落をそれぞれ代表する者とはいえないこと等によって、明らかである。

3  同3の事実のうち、被控訴人土地改良区が設立されていることは認めるが、その余は争う。

4  同4の事実は認める。

(証拠) 《省略》

理由

一  請求原因1の事実は、組合が権利能力なき社団であることを除き、当事者間に争いがない。そして、この争いのない事実に、《証拠省略》をあわせると、組合は、現川津町内の峠、折居、井手ノ上、東山、山田、春日、六反地、弘光、円造寺の各部落(なお、終戦後、六反地の一部が昭和部落として分離し、合計一〇部落となった。)にある農地の地主、耕作者を戸数単位で構成員とし、その農地を灌漑するため、部落内にある奥池(水源池)、新池、川池、尾池、天皇池、そろばん池及びこれらに係る灌漑排水施設の維持管理に関する事業を行っていたこと、右構成員は、明治時代でも二七〇戸程度はあり、右事業の運営及び組合財産の管理等に関する事項は、各部落から、二、三名宛選出された水利委員(世話役)が、各部落所属の構成員らの会合(常会)においてその意思を統一把握したうえ、水利委員会を開いて審議決定し、同委員会で選出された総代が、これを執行すると共に、対外的に組合を代表していたこと、構成員が部落内の農地を売却し或はその耕作をやめて部落外に転出したときは当然に組合を脱退したことになり、新たに部落内の農地を取得し或はこれを耕作するようになったときは当然に組合の構成員となる取扱いであって、そのような構成員の変更によって、組合の同一性が害されることはなかったこと、右事業に要する費用は、古くは地主のみが分担し、小作人が費用そのものを負担することはなかったが、その場合でも、小作人は池及び灌漑排水施設の改修整備等に関し労役に従事していたし、最近では、地主、小作人を問わず、全構成員に対し、水利委員会において定められた額の組合費が賦課され、それによって右費用がまかなわれていたこと、以上の通り認められるところ、これらの事実と右争いのない事実を総合して判断すれば、組合は、優に団体としての組織をそなえ、構成員の変更にもかかわらず団体として存続し、その組織によって、構成員の多数意思に基づき、事業の運営、財産の管理、代表の方法等、団体としての主要な点が確定しているものと考えられるから、権利能力なき社団であったとみるのが相当である。《証拠省略》によれば、組合は、地主である後記二九名によって組織されていたものであって、小作人は、その構成員ではなかった、というのであるが、古くから存在する水掛り或は水利組合と呼ばれているもののなかに関係農地の地主のみによって組織されているものがあったことは否定し難いと思われるけれども、《証拠省略》によると、前記部落内の農地の地主は、後記二九名のみではなく、他に相当数あり、その地主らも組合の構成員であったことが認められるうえ、仮に組合が地主のみで構成されていたものであったとしても、その実体は、右認定のごとき団体としての組織をそなえたものであったことが、前掲証拠によって容易に窺知できるところであり(控訴人の供述によっても、このこと自体を否定することはできない。)、しかも、右認定の通り、結局、小作人も組合費を賦課され名実共に団体としての組合の運営に参画するに至っていたのであるから、組合はやはり小作人をも構成員とした権利能力なき社団であったといわなければならない。

二  本件各土地のうち、別紙物件目録(一)、(二)、(六)の土地が中井六三郎の、同(三)、(四)、(五)の土地が奥澤山三郎の各所有であったこと、本件各土地につき、売主を右両名、買主を山下増造ら二九名とする売買契約が締結され、それに基づいて明治二七年二月二七日右二九名の持分平等の共有である旨の所有権移転登記が経由され、現に、山下増造名義の二九分の一の持分の登記が存在していることは、当事者間に争いがない。

そこで、右の売買の真の買主が組合であったか否かについて検討するに、《証拠省略》によれば、本件各土地は、奥池に隣接する田地、小さなため池、山林であるところ、その田地及びため池については奥池の堤防を嵩上げする用地とし、山林についてはこれを組合が管理して奥池に土砂が流入するのを防止するなど、要するに、奥池の維持保全の用に供するため、当時の組合の総代や水利委員が、所有者中井六三郎及び奥澤山三郎と折衝して、これを買い受けたものであって、田地及びため池(別紙物件目録(一)(二)の土地)は堤防の嵩上げに伴い奥池にとりこまれてその一部となり、山林も砂防等のため組合が管理するようになったこと、中井六三郎の所有であった別紙物件目録(一)、(二)、(六)の土地の一部は明治二一年八月頃、残余は同二六年一二月頃にそれぞれ売り渡されたものであるが、それについての同人作成にかかる代金領収書(甲第七・八号証)の宛名は、当時の組合の総代であった澤村糸七となっており、特に、甲第七号証には、その宛名に「水掛総代」と肩書が付されていること、奥澤山三郎の所有であった同目録(三)、(四)、(五)の土地は明治二七年一月頃売り渡されたものであるが、それについての同人名義の地処売渡証券(登記原因証書として登記所に提出し登記済の旨の記載及び登記所印が押捺されて還付されたもの。甲第五号証)には、宛名が前記二九名になってはいるものの、奥池水掛りに売り渡して代金を受領した旨及びそれによって同土地が水掛りの共有地となった旨が記載されていること、前記所有権移転登記手続は代書人喜田與平太によってなされたが、同人作成にかかる手数料の領収書(甲第六号証)には、宛名を「川津村峠池総代澤村糸七様」と記載してあること、前記二九名はいずれも当時の組合の総代及び世話役(水利委員)であり、中井六三郎及び奥澤山三郎は本件各土地を売り渡した者であるのに、二九名の中に入って登記名義人となっていること、右甲第五ないし八号証の登記済証等は歴代の組合総代が順次引き継いで保管していること、本件各土地にかかる固定資産税は、昭和四一年以降免税となっているが、それまでは、奥池水掛り総代を納税管理人として納税通知書が発行され、組合が納付していたこと、本件各土地は、右の通り組合が管理を開始して以来、奥池と一体をなすものとして、引き続き組合によって組織的に管理され、前記二九名或はその相続人によって個人的に支配されるようなことは全くなく、相続人の大部分が前記のような登記の存在することすら知らなかったこと、前記二九名はすべて死亡しているが、そのうちの澤村糸七の孫である澤村貞七(被控訴人代表者)、同奥澤山三郎の子である奥澤憲夫、同村井鶴次の孫である村井友信らは、かねてより、本件各土地は中井六三郎及び奥澤山三郎から組合へ売り渡されたものであって、前記二九名の名義の登記は組合名義で登記ができなかったことによる便宜上のものである旨聞いていること、昭和五〇年頃、建設省から組合に対し、本件各土地(分割されたものを含む。)の一部を中讃バイパスの建設用地として組合より買収するが、登記名義が前記二九名のままでは買収契約及びそれに基づく所有権移転登記ができないから、それが可能となるような処置をとってほしい旨申入れがあったので、組合は、右の本件各土地が実質的には組合の所有であるとの考えから、この際、そのことを明確にすると共に買収契約を円滑に結ぶべく、水利委員会を開いて、右の本件各土地の登記名義人を組合の総代である澤村貞七及び顧問である村井友信とすることを定め、同人ら役員が中心となって前記二九名にかかる相続関係を調査確認したうえ、多数にのぼる相続人らに対し、事情を説明して右澤村及び村井への所有権移転登記手続方を要請したところ、山下増造を除く二八名の相続人らがこれに応じたが、同人の相続人である控訴人は、建設省に買収される部分についてのみ同省への所有権移転登記手続に協力したにすぎず、本件各土地については右要請を拒否したこと、右澤村及び村井は、本件各土地につき持分合計二九分の二八の登記名義を得、且つ、建設省と買収契約を締結して代金を受領したが、後記の通り被控訴人土地改良区が設立されたのに伴い、被控訴人に対し、右持分につき真正な登記名義の回復を原因とする移転登記手続をすると共に、組合の総代である澤村が管理していた右代金を引き渡したこと、なお、右代金は、被控訴人の事業となった前記の各池及びそれに係る灌漑排水施設の維持管理の費用として使われることになっており、これを組合の構成員であった被控訴人の組合員に分配するようなことは全く予定されていないこと、以上の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。そして、右の事実を総合して判断すれば、本件各土地は、前記認定のような権利能力なき社団である組合が中井六三郎及び奥澤山三郎から買い受けたものであって、前記の通り二九名の名義で登記がなされたのは、組合が法人格を有せずその名義で所有権移転登記を受けることができなかったため、これに代わる次善の策としての便宜的なことであったと推認でき、二九名が個人として買い受けたものであるとは到底考えられない。控訴人は、買受代金は二九名のみが分担したものであり、また、二九名は水利委員ではあるけれども前記の各部落をそれぞれ代表する者とはいえないとして、本件各土地は二九名が買い受けたものにほかならない旨主張するが、代金の分担関係がどうであろうと、既に認定した組合の実体に照らし、本件各土地の買受けが組合と関係なく純然たる個人としてなされたものとは思えず、また、二九名の中には六反地部落(従ってこれから分離した昭和部落)に属する者は居らず、その大半は峠、井手ノ上、弘光の各部落に属する者で占められていることは、証拠上明らかであるけれども、前記認定のような本件各土地の買受目的、管理状況等に鑑みれば、右のごとき所属の不均衡は、実際の買主が組合であったとの判断を不合理ならしめるほどのものとは考えられない。

三  《証拠省略》によれば、前記の通り、組合に法人格がないため本件各土地の登記名義人が二九名になっており、組合が澤村貞七らの名義で登記名義を回復するにつき多数にのぼる右登記名義人の相続人らと折衝しなければならず、二八名の登記名義の移転を受けることはできたものの、その間非常な手数がかかり、なお、山下増造の登記名義の移転についてはその相続人である控訴人の協力が得られなかったことなどから、組合の総代や水利委員の間で、このままでは組合の運営及び財産管理に支障を生じ将来紛争が起きるおそれがあるから、これを防止するため、組合が法人格を取得する措置を講じるべきであるとの声があがり、水利委員会において組合を土地改良区とすることを決定し、これを受けた各水利委員が、それぞれの所属部落の組合構成員の会合(常会)で右の趣旨を説明して賛同を得るなどの手続を経たうえ、構成員の総意に基づき、組合の総代及び水利委員ら有志が、土地改良区の設立を発起して、土地改良法の規定に則り、昭和五二年八月二五日、地区を前記一〇部落とし、事業を前記各池及びこれに係る灌漑排水施設の維持管理とし、本件各土地を含む組合の所有財産を基本財産とする被控訴人土地改良区の設立の認可申請をしたところ、同年一一月一五日、その認可がなされ、被控訴人が設立されるに至ったことが認められる(被控訴人が設立されたことは当事者間に争いがない。)。しかして、右の事実によれば、既に権利能力なき社団としての実体を有する組合に法人格が与えられ、しかも、その目的とする事業が、法人格取得の前後を通じて同一の利益を追及するものであると認められるので、組合の所有であった本件各土地その他の財産は、法人である被控訴人の設立の時から法律上当然に被控訴人に帰属したものと解するのが相当である。

四  請求原因4の通り、控訴人が山下増造の権利義務を承継した相続人であることは、当事者間に争いがない。

五  以上によれば、被控訴人は、控訴人に対し、所有権に基づき、登記と実体の不一致を除去し真正な登記名義を回復するため、実体に符合しない本件各土地に対する山下増造名義の二九分の一の持分につき移転登記手続を求めることができるというべきであるから、被控訴人の本訴請求は全部正当であり、これを認容した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。

よって、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 宮本勝美 裁判官 上野利隆 山脇正道)

<以下省略>

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